ぼくはしんだ
「ぼく」谷川俊太郎
先日、NHKで「子どもの自死」についての絵本を作る番組を見てから気になっていた本です。
すごく明るい本にしたい。
谷川さんのこの言葉がとても印象に残りました。
暗い、重いテーマなので明るい絵本になるのは難しいじゃないかと思っていました。
昨日、本屋で発見し立ち読みができたので読んでみました。
詩の内容は番組で知っていましたが、それが合田さんの美しい絵と合わさり広い世界に入り込んだみたいでした。
谷川さんは番組でもたびたび「宇宙」という言葉を出していました。
宇宙という壮大なスケールの中から、ありふれた日常の中から、死を見つめる。
子どもの自死の半数以上は原因不明という調査結果があるようです。
死に対する興味、生きていることへの違和感、やはり孤独や悩みがある。
もし子どもの自死が私の周りで起きてしまったら、その衝撃は計り知れないと思います。
しかし、死は本来身近で誰にでも訪れる現象。
誰彼ともなく、生と死がぴたりと重なってその人の中にあるなら、いつ自分に死が訪れるのかわからない。
駅のホームに立っていた時に電車が来ると、高いところから下を見ると、死にたいと思っていなくても少し体が吸い込まれそうになる。
そんな魔が差すこともあり得るということを意識することは、とても大事なんだと思います。
第一次世界大戦・第二次世界大戦中の自殺率は各国軒並み低下したようです。
死が日常であったこと、国民みんなが揃って大変であったこと、今日明日を生きることが精いっぱいで考える余裕がないことが原因だと考えます。
逆に高度経済成長の時、バブル崩壊後など大きな変化があたとき自殺率は上昇したようです。
大きな変化の影響を受け、乗り越えられた人、乗り越えられなかった人の差が開いたことが原因だと考えます。
そう考えると、このコロナ渦で社会には大きな変化があり、自分と向き合う時間も増えました。
やはり自殺は増えているようです。
そんな今だから、この絵本は誰の中にも存在する「ぼく」を俯瞰的に見るきっかけを与えてくれると思います。
購入しようか考えましたが、一度保留にしました。
子どもにも読んでほしいと思いましたが、まだ少し抵抗があります。
あってほしくはないと思っているからでしょうか。
下の子が布団の中で「胸がどきどきしてる。止まったら死ぬの?こわい」と言ったことがあります。
生も死も自覚すると怖いです。
隠すものでも、蓋をするものでないのに。。。積極的に見せることはやっぱりできません。
今日も楽しかったとお布団に入ってくれたらいいなと思います。
イベントアレルギー
こんな言葉があるかどうかはわかりません。
けど、今日はとっても胸がザワザワしました。
子どもたちが学校から帰ってきてから、色んな子がバレンタインのチョコを持ってきてくれました。
「このご時世やから買ったやつやけど」
とか
「手作りやねんけど、気にするかな?よかったら食べて!」
とか
「陽性者が出た学級で出たみたい!ポストに入れとくわ」
とか
イベント×コロナでみんなの対応も色々あってなんかもう。。。
面倒くさかった(笑)
もうこうなるとコロナ気になる気にならないも面倒くさいし、かと言って断れるわけないし。
さらに、子どもが本命チョコ渡した子のお母さんから、「連絡先交換しませんか?」とお手紙をいただきました。
必要かなと思いながら一応ライン交換しました。
自分も全くやって来なかった訳ではないです。
けどイベント、毎回辛いです。
大人になって開放されたと思ったけど、今度は子どものイベントを盛り上げるサポートをしなければならない。
これもかなりしんどいです。
誕生日、クリスマス、ハロウィン、バレンタイン、盆正月、などなど
みんな元気にでかける、平日の午前中が一番です(笑)
街や人達がキラキラしたり、ワクワクすると、私の心はザワザワします。
見つからないにひっそりと引きこもりたくなります。
昨日は疲れて、日本酒を飲みすぎました。
今日は朝からジグソーパズルをして心を鎮めたいと思います。
6・6・6
今日はバレンタインデーです。
今年初めて上の子が好きな子にチョコレートを渡しに行きました。
今日が平日なので、一日前の日曜日に直接家に持っていきました。
しかもそのチョコ、パパが買わされたようで、「自分で買わなかったの?」と聞くと
「文房具にお金を使ったから」という答えが返ってきました。
そこは自分の欲しいものを我慢して、好きな子のためにチョコを買うんじゃないの?
と突っ込みたくなりました(笑)
しかも同じ校区内でもちょっと遠方に住んでる子で自転車で行くのがしんどいから、パパに車で連れて行ってもらってました。
すべてはパパのお金と運転で成し遂げられたバレンタインでした(笑)
子育ては3段階に分けられると思っています。
小学校までの6年間
小学校の6年間
中高生の6年間
ちょうど真ん中あたりに来て、一人でできることも増え、どんどん世界が広がっていく楽しい時期です。
親は少しづつ利用されながら、補助輪外したての支えてあげる段階なのかなと思っています。
体感的に時間が過ぎるのがだんだんと早くなっていて、きっと最後の中高生の段階は猛スピードになるんだろうなと思っています。
自転車が原チャになる感じ。
一回走り始めたら止まらない。
たくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん寝て元気だったらとりあえず大丈夫と思えるようにしとかないと、子どもたちの変化にこっちが振り回されてしまいます。
ママも機嫌よく好きなようにやっている。
これが大事なのかなと最近思っています。
子どもたちは私の興味ないことあること、好きなこと苦手なことをよく把握しています。
子どもに正直に「今日ご飯作りたくない。」とかいうと「コロッケ、チンでいいよ」とか言ってくれます。
悲しませるかなと思っていたら、何なら少しうれしそうに「許してあげるよ」と上から言ってきます。
逆に子どもが「勉強したくない」というとイラっとすることが多いです(笑)
ダメですね。
本音を言えて、いいよ無理しなくてってお互い言える関係になりたいです。
これから勉強も難しい時期に入ってきます。
ただ「勉強しろよ」という親にはなりたくありません。
自分の「好き」に出会えるようしっかりサポートしていきたいです。
8・8・8
先週、子どもたちの学校でコロナによる緊急下校がありました。
この2年、休校や自粛で家で過ごす時間が増えたり、予定外のことが急に起こることも多くなっています。
バタバタしているとあっという間に一日、一週間が過ぎていき、そして一か月がたってしまいます。
特に正月明けから新年度まで三学期は短いうえに、コロナで先が読めない日々が続いています。
そこで、私なりに1日24時間をどうして過ごしているのかを少し立ち止まってふり帰りたいと思います。
8・8・8は一日24時間を分けたものです。
睡眠・仕事・自分の時間
睡眠は8時間とれているのでおいておきます。
問題は仕事と自分の時間。
私の場合、外に働きに出ていないので、8時間以上は自分の時間にあてれるはずなのに実感がありません。
子どもが家にいない時間は平日大体7時間。
この間の過ごし方がきっともったいない過ごし方をしていると反省しました。
私は子どもがいると、家事がなかなかはかどらないため、やる気を失ってしまします。
なので掃除やご飯など子どものいないときにすることが多いのですが、それでは自分の時間が削られる一方だと思いました。
なんとか、改善しないとこのまま自分の時間が取れずに過ごしてしまします。
家事も時間を決めてメリハリをもってしないといけないとうすうすは気が付いていましたが、これを機に改善していきたいと思います。
具体的には、夜寝る前に洗濯を回して干して、朝子供らが起きてくる前にたたんでしまう。
プリント類は学校から帰ってきたらすぐにいる・いらないを分けて処分する。
ご飯は献立だけ朝決めといて、夕方30分で作れるようにする。
掃除は子どもらがお風呂に入ってる間にする。
などなどまだまだ改善点はありそうです。
子どもがいない時間になるべく家事をしないよう工夫していきたいと思います。
古代ローマの哲学者セネカは「人生の短さについて」で人生とは時間であると述べています。
時間は有限。自分の人生を短くしているのは自分。
いつ、子どもたちがコロナ休校になってもおかしくない今日この頃。
今自分の時間が取れるなら、しっかりと自分の時間に何をするか意識していこうと思います。
極上のアヘンが満州を狂わせる
「満州アヘンスクワッド」門馬司・鹿子
ホリエモンが面白いと言っていたので、気になって購入してみました。
1巻はkindleで無料で読めるようです。
最初は、読み進めるのも少し怖いなと思っていましたが、何とか6巻まで読めました。
今は無き満州国。
「日本の生命線」と松岡外相が言ったことも有名で、それほど満州にこだわっていた日本だけど、終戦と同時に満州もなくなりました。
その満州とはどのようなところだったのか。
これはあくまで漫画だけど、「満州で一番軽いものは、人の命だ」と書かれているように決して安住の地ではなかったことは想像できます。
主人公の勇も生きるために、家族を助けるためにさえ切った嗅覚と豊富な植物の知識で極上の「真アヘン」を作り出していく。
アヘンを売るために権力者をアヘン中毒者にし、中国とロシアのマフィア抗争にも巻き込まれていく。
生き残るためには勝つしかない。
そんな追い込まれた環境で、それしか道がないようにただひたすら突き進む。
読んでいて応援するのも心苦しいけど、裏社会を覗き見ているようで面白かった。
怖いもの見たさ。
薬物の手を出すときもそんな好奇心をくすぐられるだと門馬司さんはインタビューでおっしゃっていました。
もうすぐ7巻も出るようで早速アマゾンで予約注文しました。
またまた怖いもの見たさで読んでしまいそうです。
一軍以外はすべて捨てる
「服を買うなら、捨てなさい」地曳いく子
何年か前に話題になり、当時購入し刺激を受けた本です。
読んですぐに洋服の整理をし始めました。
けど、「一軍以外はすべて捨てる」や「毎日同じ服でいい」など理屈はわかるけど、なかなか勇気がいるなあと思いました。
今日まで、たくさん服を買ったし、たくさん服を処分してきました。
一時は、メルカリにハマった時期がありました。
よく売れると売上金を元手に買ってしまったり、買うときも売ること前提で買ってしまったりしていました。
なんか自分の中ですっきりしなくて、メルカリで服を売ることもやめてしまいした。
買うときに、「これ、捨てるだろうな。売るだろうな。」と考えて買うのは何か違うと思ってしまったのです。
ここ数年、自分の服のレパートリーが大きく変化してきました。
子どもが小さいときは、汚れるし動きやすいことを前提に服を選んでいましたが、それも落ち着いてくると、今度は自分の好きな服を着たくなりました。
しかし、年齢のせいか前まで好きで着ていた服がしっくりこなかったり。
洋服難民になり、また大量に買ってしまっていました。
中途半端に処分したり、メルカリで売ったり、人にあげたり。。。
一度洋服を全部出し、とりあえず一軍だけのクローゼットを作ってみました。
いらない服を選ぶのではなく、絶対に必要な服を選ぶ。
これはよかったです!!!
一軍だけがそろっているクローゼットは間があり、まるで高級なお店のよう。
結局、それ以外を全部処分できたわけではありません。
けど、一度減らしきることで服への購買意欲は大幅に減らせることができました。
それと同じ服を着る。これは最近実践しています。
パンツはユニクロのストレッチパンツ黒3枚。
トップスはGUのオーバーサイズスウェットプルオーバー、白と黒を2枚ずつ。
これを基本にコートは3枚を着まわす。
普段着はこれが一番落ち着くことがわかりました。
また、毎日着ると服がヘタるので今年はこのアイテムをすべて買い換えました。
普段は家におり、お出かけする機会が少ない今、これで十分です。
かといってそれ以外を全部処分できるわけではありませんが。。。(笑)
あともう一つ印象に残っているのは、おしゃれな人より、ダサい人のほうが印象に残ってしまうということです。
私は、ダサい人というよりニットの毛玉が気になってしまうタイプです。
友達とランチに行ったとき、髪も可愛く結びアクセサリーもネイルもしていたのに、その子の来ていたニットが毛玉だらけで正直衝撃を受けました。
シミや穴なら気が付かない可能性はあるのですが、毛玉って範囲が広いし、絶対本人も気が付くはずと思ってしまい。。。私は終始気になってしまいました。
無頓着な子ならまだいいのですが、その他に気合が入ってる分、その毛玉のニットが今でも私の中に残っています。
友達と出かけるときに限って、今まで一回も着たことのない服を無理やり着てみてしっくりこない。そしてそのまま出かけてしまうと気分が上がらず、ダサくないか心配してしまう。
もう買ってすぐ着ていない時点でその服はダメだったんだなと思いました。
先日もバーゲンで服を3枚買いました。服を買うのは半年ぶりでした。
翌日には全部着て出かけました。
私の中でできた基準はすぐに着て出かけたい服かどうかです。
年齢にも生活環境にも左右される服。今後も何度も更新しないといけない場面があるでしょう。
そのたびに着て帰りたいかどうかという基準で選べば、大きくハズレる心配はないのかなと思っています。
油断するとすぐに二軍のどうでもいい服を買ってしまうので、定期的にこちらを読み返し、ダサくならないよう気を付けたいです。
あなた、本当にそれが欲しいの?
「仕事にしばられない生き方」ヤマザキマリ
前から大好きな漫画家さん。
テルマエロマエが有名で映画化もされました。
私は正直、漫画は読んだことがありません。
その代わり、エッセイは何冊か読ませていただいています。
何冊読んでもヤマザキマリさんの人生は本当に目が開くほど波乱万丈。
お母さんのお話も面白いけど、イタリアで過ごした詩人とのお話もこれでもかと事件連発です。
ヤマザキマリさんはイタリア、シリア、ポルトガル、アメリカ、日本といろんなところで住んでいたそうです。
そんなヤマザキマリさんのお金の価値観が知りたくて、今回こちらを読みました。
タイトルの「あなた、本当にそれが欲しいの?」とはマリさんがお母さんに小さいときから言われていた言葉のようです。
流行しているひらひらのスカートを欲しがった時も「流行ってるものが、あなたに似合うとは限らない。」と言われたり、ヒミツのアッコちゃんのコンパクトを見に行った時も「作りが安っぽいから原価はこのぐらいだ」「そんなので変身はできない」「すぐに飽きるわよ」と言われたそうです。
最近子どもたちも、自分のお金で自分の欲しいものを買うことが増えました。
親が買っているときは、買ってあげてもすぐに飽きてあんなに欲しがったのにと、腹立たしい思いをしたことが何度もあります。
自分のお小遣いで買うようになったら少しは大切にするかと思ってんですが、まったく一緒でした。
今度は自分でお金を稼ぐようになったらわかるだろうと思いましたが、私は考え直しました。
きっとこの感じ、変わらないだろうなと。
私も若いときは、せっかく自分の稼いだお金で服を買い、値札が付いたまま着なかった服を処分したことは数知れず。
買うときはめちゃくちゃほしかったのに、買った瞬間がピークで家に帰るころにはとっくに興奮が冷めてる。
そして、今度こそとまた買いに出かけてしまう。
私は冬のコートが好きで、一時期20着以上ありました。けど車でイオンに行くとさほど寒くないので、車にコートを置いたまま、またコートを買ってきてしまう。
この矛盾に気が付いてからコートを見直しました。
車移動が多いので丈は短いもの、さらに私は暑がりなので薄めのもの、そして軽くて身幅や脇周りにゆとりのあるものが私に適してるコートだと。
それ以外は処分かメルカリへ。
それからは真冬にディズニーランドに行くときに、ロングの厚めのコートを買って以来コートは購入していません。
大量に消費しないと、無駄には気づけないのかもしれません。
きっと子どもたちも今その過程のほんの入り口にいてるのかなと思います。
働いて、働いて、でもそれはいったい何のためなのかもわからなくなっても、働き続ける、そんな生き方の先に、幸せがあるだなんて、とうてい思えません。
知性や教養=お金という強迫観念が結びつき、ふるいにかけられ、生産性のあるなしで人間性が分かれてしまう。
競争社会を生き延びたものだけが幸せになれる権利がある。だからもっと頑張れ、もっと働け。
本人の意思とか頑張りでは、どうにもならないことがあるのが生きていくということです。
ヤマザキマリさんは、欲望や孤独がもたらす深い闇を、持てる叡智を総動員して考え抜くことで御してきたことを古代ローマ人から学んだとおっしゃってます。
今一度、本当にそれがほしいのか。そしてもっともっと働く必要があるのか。
子どもの買い物の時に、後ろから「本当にそれが欲しいの?」と聞いてみます。
嫌がられるだろうな(笑)